| 社側 |
「こんばんは米朝事務所です」は、もともと昭和60年頃から毎年、ナイターオフ番組として放送しており、歴代パーソナリティは若き日の桂南光、桂雀三郎、桂吉朝(故人)など、今日の上方落語界で一派をなすメンバーが担当していた。 1993年のラジオ大阪の本社屋移転と共に一旦は終了したが、この度、かつて大阪のサブカルチャーの一端を担っていた番組へのトリビュート——感謝や敬意の気持ちのしるしとして、およそ12年振りに番組を復活させた。リニューアルに際しては、『落語家=着物を着て喋る人、「桂」や「笑福亭」といった屋号が付いているタレント』という固定観念に一石を投じたいという思いを込めた。パーソナリティには、昔の落語家然とした雰囲気を残しながらも、いま勢いのある噺家を指名した。それが、桂枝雀最後の弟子「桂紅雀」と、桂南光の弟子「桂こごろう」による『べにこご』コンビである。番組では二人のフリートークのほか、米朝事務所に所属する落語家のゲスト出演、そして米朝事務所主催の落語会の告知など、お笑いファンから落語ファンまで幅広い層が楽しめる番組構成を心掛けている。番組を通じて、本芸の落語はもちろん、現代人には馴染みの薄くなった“師匠と弟子”の関係に関する話題や、内弟子修行をみっちり積んだ芸人のフリートークを聴いてもらい、聴取者に落語や噺家の面白さを“再発見”してもらいたいと願っている。 |
| 委員 |
上方の落語界を担う次世代のリーダーとして期待されていた桂吉朝さんが亡くなった直後の追悼番組だということだが、敢えてしめやかな進行ではなく、明るい追悼番組になっている点がいかにも噺家さんらしいと感じた。師匠を亡くすことは、噺家にとって大変つらい出来事だと察するが、それにも関わらず、悪戯好きであったという吉朝さんの面白いエピソードを次々に紹介し、笑いの中で故人を偲んでいるという点に、出演者と吉朝さんとの絆の深さを強く感じたし、惜しい人を亡くしたということを改めて認識した。昔と比べ、人と人との繋がりが希薄になりつつある現代の中で、噺家の世界特有の強い絆で結ばれた人間関係に触れることができ、番組を聴いた後で温かい気持ちになった。およそ30分間の番組だったが、それが極めて短く感じるほど出演者の会話のテンポが良く、さすがは本職の噺家だと感じた。今後もテンポの良い進行で、楽しい番組を続けていって欲しい。 |
| 委員 |
出演者がプロの噺家だという理由もあるだろうが、番組進行のテンポが良く、自然な流れで故人の追悼に入っていてとても聴き易かった。しかも、吉朝さんの生前のエピソードが非常に豊富であり、生活を共にしてきた人間でなければ知り得ない話の数々に、思わず引き込まれた。関西の人間は、上方落語——特に「米朝一門」に対する思い入れが殊のほか強く、その意味でも目のつけ処の良い番組だ。この番組を通して、上方落語のみならず、江戸落語を含めた落語界全体の情報発信ができるよう、今後も継続して取り組んで欲しい。 |
| 委員 |
自分が落語に対して予備知識を持っていないせいなのか、出演者である3名の噺家の声色がとても似通っているように感じた。そのため番組を聴いていても、いま喋っているのが一体誰なのか把握出来ないまま番組がどんどん先に進んでしまい、聴き辛かった。オープニングとエンディング部分で顕著だった、出演者のゲラゲラとした笑い声も非常に気になった。もうひとつ気になったのは、番組を聴いていても、桂吉朝さんのイメージが頭の中に像として浮かんでこないことだ。普段落語についてあまり馴染みのない聴取者のためにも、故人のエピソードだけではなく、「桂吉朝」という人物の経歴など、もっと具体的な足跡を紹介した方が親切だったのではないだろうか。 |
| 委員 |
今回の放送内容は吉朝さんの“追悼”だったが、普段はどんな内容を放送しているのか。 |
| 社側 |
今回は吉朝さんの追悼がメインテーマとしてあっただけに、落語に対してある程度の知識がないとついていけない類の話が多く、その意味で意図せず聴く人を選ぶ放送になってしまったところがあったが、普段の放送では、日頃落語に馴染みのない聴取者のことも意識し、一般性のあるテーマについてのフリートークや、落語家ならではの小噺などをメインに放送している。 |
| 委員 |
オープニングとエンディング部分で顕著な、出演者自身の「笑い声」については、師匠の死という現実が本来とても悲しいことだからこそ、敢えて自分たちのテンションを上げようとしていることが背景としてあるのではないか。落語という伝統芸能をしっかりと後世に残していく意味でも、何より出演者自身にその自覚を持ってもらった上で、今後も番組を続けていって欲しい。 |
| 委員 |
聴く側の人間が落語に対して予備知識を持っているか否かで、評価の別れる番組だろう。自分は普段から落語を聴く方の人間なので、番組を聴いていても特別疑問を抱くことはなかったが、出演者である3名の噺家の声色が似ているという指摘には確かに納得できる。落語ファンの底辺拡大という観点からいうと、もう少し普段落語に馴染みのない聴取者に対する配慮が欲しかった。 |
| 委員 |
冒頭部分の出演者自身の過度なテンションの高さ、「笑い声」が気になった。声色が似通っているという点についても、例え似通った声色であろうとも、プロの噺家であるのならば、一聴しただけで判別の付く位の喋りをそれぞれに期待したい。吉朝さんの生前のエピソードを語り合う追悼の本編部分は、話も具体的で、興味深く聴くことができたが、喋りの技術をもっと磨かねばならない。寄席に出掛けて彼らの落語を耳にしたことはあるが、その出来と比べるとフリートークはまだまだ物足りない。 |
| 委員 |
出演者である3名の噺家のテンポの良い話し方、話の進め方には、さすがプロとしての意気込みが感じられた。ただ追悼番組であるならば、伝統ある噺家の世界のこと、きっちりと哀悼の意を表し、笑いとは一線を画すべきだったのではないか。最後まで聴いてみて、番組の柱となるもの——番組を通じて伝えたいことは何なのか、はっきりと把握できなかった。聴いている人は、噺家の世界に入っていき辛かったのではないだろうか。先達から受け継いできた落語の世界観を、ラジオの前の聴取者にどのように伝え、より多くのファンを惹きつけていくのか。落語ファンの底辺拡大という観点からは疑問の残る内容だった。この番組はあくまで噺家の身内の「話」に終始してしまっており、落語についての予備知識の有無を問わず万人が楽しめる「噺」ではなかったように感じる。哀悼の意を「笑い」で表現するのであれば、プロの噺家として、番組内容にもうひと捻りあっても良かったのではないか。 |
| 委員 |
声色の似通った3名の出演者が互いに重なりながら喋っている点、オープニングとエンディング部分のゲラゲラとした笑い声は、確かに聴き辛かった。スタジオの中の喋り手は、ラジオの前の聴き手のことを常に意識することを忘れてはならず、両者の間に意識のズレをつくってはならない。ただ、生前の吉朝さんの人情味溢れるエピソードや、その吉朝さんから受けた稽古の話などは、本来身内の者しか知り得ない話であり、とても興味深く聴くことができた。 |
| 社側 |
貴重なご意見ありがとうございました。 |